私はかなり重度の天の邪鬼である。
とりあえず流れには逆らってみようとする。
反骨とか反体制とか、そんなにはっきりしたものではないし、
もっと言えばそういうモノだけではなくて、
クラスなどの小集団の中の流れにも出来れば逆らってみるタイプである。
…出来ればと言う辺りが小物なのだが。
さて私はプログラミングしていたり、サーバいじったり、
飛翔体が大好きだったりするので、さぞ電子機器に囲まれた生活をしていると思うだろう。
ところがどっこい、私の家には以下のものがないし、それに特に不便を感じていない。
- 炊飯器
- 電子レンジ
- 電気ポット
米は鍋で炊くし、どうしても温め直したいなら蒸すし、湯は薬缶で沸かす。
…環境に悪そうだね。うん。ついでに言えば、私は携帯電話を持っていない。
家の固定電話も緑の公衆電話と同じく、通話機能しかない。
FAXはないし、録音機能もないし、ディスプレイもないから誰からかかって来たかも不明。
子機もない。もう20年位使っている。…流石に黒電話ではないよ?
プッシュホンです。
ここまでで分かったことは、この性質は必ずしも私だけではなく、
少なくとも両親からのかなり強い影響を受けているだろうと言うことだ。
それだけではないが。
もう少し詳しく私が嫌いな『流れ』を書くと、
典型的には祭りの神輿を担いでいる時の様な、
トランス状態がキライなのだ、と最近気付いた。
同じ阿呆なら踊らにゃ損損、ではあるかもしれないが、
言わば集団がコヒーレントになる、ああいった空間がどうにも苦手である。
集団の構成員が同じ目標に向かって努力するとか言う状態を越えて、
何か群体の如く、個を剥奪された状態になる(様に見える)のが恐ろしい。
恐らくそれは、私自身が自他共に認める”変人”であることと無関係ではない。
私自身が、多様性が保証される様な環境でないと、排除される側になると言う、
潜在的な恐怖を抱えている気がする。いつもそんなことを考えている訳ではないが、
自分自身が属する集団がそういう状態に移行しそうになると、
同調することで、ではなく、同調を破壊することで、自分の居場所を確保しようとするらしい。
とはいえ、波に乗っている集団が嫌いな訳ではない。
そこで、思考の幅が制限されていくのが嫌いなのである。
波に乗るとむしろ思考の幅が広くなる場合もあるし、
そう言うのは大歓迎である。
立花ゼミで波に乗ると思考の幅が広くなるんだぞ、とゼミを持ち上げて筆を置こう。
窪田-分析癖発動中-史朗