東大生のノートでも、美しくないモノは美しくない
声を大にして叫びたい。
東大生のノートでも、美しくないものは美しくない!!
・・・当然アレ、・・・近頃ベストセラーになった「東大生のノートは必ず~」についてである。
僕はアレを読んでいない。
駒場の生協に入ったら、一番目立つ位置にアレが平積みになっているのを見て、吹き出しそうになった。 そんなに買う人が多いのかよ!
アレはウソである。その証拠に、今日、TAをやっていた最中にとった僕のノートをお見せしよう。
とても見せられるものではないが、敢えてお見せしよう。
・・・。これが現実である。もちろん、僕から見ても「美しい」人もいるけど、なんで東大生という括りになるのか? 別に他大学の学生でも、人によってはノートはきれいにとるのだよ? で、東大生あっても、汚い人は汚い。
例えば、立花先生だ。先生が書かれた原稿を読むときは、僕は何十回と読みが止まる。
・・・ワカラナイのだ。こんなことを書いてよいのか迷ったが、読めなくて何度も苦労した(友達と相談した)経験を踏まえ、今日は正直に書くとする。立花先生のノートはおよそ美しくない。というか、時々何のことを書いてあるのかさえわからない。でも、必要な情報は詰まっていて、少なくともご自分では、見返せば理解できるらしい。(その証拠に、「ここはどういう意味ですか?」と、持っていくと、すぐに答えをもらえる)
・・・それがノートだ。必要な情報が詰まっていて、後から見返す際に、記憶を呼び起こす一助となるものだ。美しいかどうかは、人によって決まるのであって、東大生だから、とかいうのは、関係ないと、強く思う。
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